特別寄稿
「素晴らしい藝をする方には『色気』がある。
圓丸師匠にしか出せない藝と人柄に、私はついぞ夢中なのです。」
圓丸師匠と初めてお逢いしたのは、クルーズ船での仕事で向かう成田空港の出発ロビーでした。
丸く大きな目の圓丸師匠は笑顔で「はじめまして」とこんな私にも丁寧なご挨拶をして下さり、それから私たちは飛行機を三回も乗り継ぎ、何時間?何十時間をかけ、アフリカはナミビアへと向かったのでした。
何せ長い時間の乗り継ぎでしたから、所謂「落語好き」な私は、初めてにも関わらず色々と師匠と、芸談やら、お着物の話しやら、さもない事まで聞いてしまい(今考えればご迷惑だったはず、、)、アフリカに着いた時にはすっかり圓丸師匠のファンになっていたのでした。
あまりに長い移動の翌日のクルーズ船に乗り込んだ日に圓丸師匠の高座があり、私は楽しみにその高座を観にいった時のことです。
楽しいマクラから、さて、いよいよ本編にうつった時です。
圓丸師匠が羽織の紐をほどき、はらり!と着物から羽織が垂れる瞬間に、私は思わずそのあまりに自然な仕草にもかかわらず、心の底が甘く擽られる感覚になりました。
そして会場全体が柔らかな雰囲気にグッと惹き込まれました。
ここまで、場の雰囲気を一発で変えてしまう人に出会ったのは、この永の歳月何人もいませんし、そのほとんどは私は生で見たことがありません。
ただ一人、その昔、まだ私が10代だった時、今は亡き能楽師の通いの内弟子だった事があります。
その先生は大正生まれで、能楽では重要無形文化財保持者でもあったのにも関わらず、とてもハイカラな趣味をもつ先生で、フランス文学や、洋食や葡萄酒が大好きな先生でした。
肝心な能楽について、私に教えようとはせず、いつも傍で芸について教えて下さいました。
「いいかい秀実。素敵な藝をする人にはね、色気があるんだよ」
大人びてはいても、所詮子供であり、なんの事だかわからぬ私でしたが、ある時の能楽堂の舞台で出てきた瞬間に、えも言われぬ心持ちになった事があります。地謡をしていた私は持っていた扇をはたと落とした事があります。(あとで酷く怒られましたが、、)
先生は藝で、身をもって見せてくれたのでした。
時は移り、その夜の圓丸師匠の高座をはじめてみた時、あ!これだ!!久しぶりだ!!
と、私は大興奮してしまいました。
圓丸師匠の声と仕草で、その時以来の心持ちになったのです。
素晴らしい藝をする方には「色気」がありますが、昨今はその「色気」というのが、厳しい事を言えばエログロナンセンスと、いっぱひとからげにされてしまう時代。しかしつまらない時代です。
失礼ですが、本物は、現代において殆どお目にかかれない。
本物の藝人は、いくらふざけたような事を言えども、上品(じょうぼん)であり、色気があり、しかも当たり前ですが、それを狙ってやったりはしないので、とても自然な事であり、そして又いくら藝道を磨けど、努力をしても、出せる技ではないのです。
所謂、もって生まれて、そして自然なのです。もう、敵わないのです。
その日より、すっかり圓丸師匠の虜になった私は、まるで金魚のフンのようについて回って、クルーズの船内で楽しい時を過ごし、夕食はほとんど隣でキャッキャとはしゃいでいました。
高座でもプライベートな時間でも、圓丸師匠はいつもニコニコと色気があるのです笑
ほとんどお酒を口にしない圓丸師匠と話しているのに、すぐこちらの盃が空いてしまう。それはそれは楽しすぎて!
高座では、粋な登場人物から、なよっとしてみえても芯の強い女将さんまで、それは見事な技を効かせ演じ、さまになり、聴き手の心を離さない。
けれど、執拗いくらい申し上げるのは、「色気」の余裕がそもそも圓丸師匠には備えてあるので、聴き手の心をサッと掴んでしまう。
帰国してからも、会食でお逢いしたり、お電話やLINEなどでのやりとりは続き、次はいつまた御一緒にクルーズ乗れるのかしらとソワソワしてしまう。
もしかしたら、圓丸師匠の前世は、金魚掬いの和紙だったのではないか。とふと思う。
そして私は、その水の中でフワリと薄い紙だと思いながらも、つい攫われてしまう金魚なのかもしれない。
優しくて、暖かくて、楽しくて、フワリとして、粋で、頼もしくて。
圓丸師匠にしか出せない藝と人柄に、私はついぞ夢中なのです。
さぁ、圓丸師匠、
今日も私たちを楽しく甘い時間へと誘って下さい!